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長門路は今日も雨だった 其の参 [日記]

10月13日
朝食の時に窓から外を見ると道は濡れていませんでした。それでも空は厚い雲に覆われています。
雨が降っていないのならばと、この日は秋吉台へ行くことに決定。。
ゆっくりと朝食を取りオートバイで秋吉台へ向かいました。
暫く走ると、ぱらぱらと小雨が降ってきます。秋吉台までは小雨が降ったり止んだりでしたが、粋田化石化石のオートバイは首から下には風が当たらない設計になっているので、小雨だと殆ど体が濡れることはありません。ですから、レインコートを着ずに秋吉台まで行きました。


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今更説明するまでもありませんが、秋吉台は日本最大級のカルスト台地です。

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秋吉台の何処へ行ったら石灰岩が露出しているカルスト台地を見ることが出来るのでしょうか。一人で出かけるときは殆ど予習などしないので、まったく見当もつきません。そこで、カルスト展望台へ行ってみることにしました。

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実際にカルスト展望台に行ってみましたが、見渡す限りの草原は見えますが石灰岩がごろごろと露出した景色は見えません。草の丈が伸びて岩を覆い隠してしまっているのでしょうか。ちょっと残念でした。それでも展望台からすぐ下を見る露出した岩たちが見えたので少しだけ納得しました。

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秋吉台寄り添う岩の冷まじき 粋田化石




続いて秋芳洞に行きました。
秋芳洞には、「正面入り口」、カルスト展望台に近い「エレベーター入り口」、「黒谷入り口」の三か所の入り口があります。私は正面入り口から入ることにしました。付近にある有料駐車場にオートバイを入れると「オートバイは只です。」、「今日はすいているので好きなところに止めて構いません。」とのことでした。なるほど、広い駐車場には四輪車も二輪車も私の他には一台もありませんでした。

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駐車場から少し歩いて土産物屋が並ぶ細い通りを抜けると秋芳洞正面入り口です。 145_10月13日秋芳洞 (8).JPG



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秋芳洞内部の気温は19℃。年間を通してこの温度だそうです。

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実は秋吉台と秋芳洞には二十五年ほど前に団体旅行で連れてこられたことがあります。しかし、『百枚皿』という見どころ以外全く記憶に残っていません。したがって、新鮮な気持ちで往復約一時間の神秘的な空間の旅を満喫しました。

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秋芳洞石の聖母のそぞろ寒 粋田化石



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秋芳洞廻りてくれば肌寒し 粋田化石



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次に萩にある世界遺産『萩反射炉』を見に行きました。

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萩反射炉は萩藩が海防強化の一環として鉄製大砲を鋳造するために1856(安政3)年に試作的築造した金属溶解炉です。金属溶解炉の部分は現存しておらす、煙突だけが残されています。

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「萩反射炉」
萩反射炉は、山口県萩市にある反射炉跡である。煙突部の遺構が現存しており、国の史跡に指定されている。世界遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産のひとつである。Wikipedia

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萩反射炉の駐車場はセブンイレブンと同じ敷地で地続きです。その駐車場から少し登った小高い所に反射炉は鎮座していました。写真左下の建物がセブンイレブン。右下の建物が宝くじ売り場です。

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萩反射炉のある場所は木々に囲まれ静かな公園のように整備されていました。そのすぐ脇に鉄道が敷かれています。

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実用化はされなかったとはいえ、江戸時代末期の人たちが反射炉を作ったというのにちょっと感激しました。


萩寒し維新の道をオートバイ 粋田化石




萩反射炉まで来たので、直ぐ近くにある『松陰神社』に参拝しました。

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萩の観光名所だと思っていた松陰神社は全く混雑して居らす、駐車場もがらがら状態でした。

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丁度到着した団体様の中の一人が私のオートバイを見て「千葉から来られたのですか?」と話しかけてきました。その団体様は岐阜からやって来たのだそうです。

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手水舎で手を洗い松陰神社に参拝しました。

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参道脇にある『松下村塾』は想像していたものよりもずっと小さくて、維新の偉人たちはこんな狭い場所で勉強していたのかと驚いてしまいました。

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参拝後鳥居の傍の食堂に入りました。メニューを見ましたが何だかよくわからないので『松陰うどん』を注文。天かすたっぷりの美味しいうどんでした。

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秋陰に松陰うどん鳥居前 粋田化石



うどんを食べて店の外へ出ると雨が降っていました。雨の中萩の市内を巡るのも億劫なので宿に戻ることに。萩市街から宿のある三隅(みすみ)までは部分開通の山陰道(無料区間)を使えばあっという間です。

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小雨が降る中宿に戻り、『香月泰男美術館』に行きました。

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宿から香月泰男美術館までは徒歩で三分くらいの距離です。こういう言い方をしてはたいへんに失礼なのですが、長門市の片隅に何故こんな美術館が?と思うくらい香月泰男美術館は素敵な美術館です。ここに入館すると「ちがって」という判を押してもらえます。
(金子みすゞ記念館が「みんな」。香月泰男美術館が「ちがって」、くじら資料館が「みんな」、そして村田清風記念館が「いい」。四館全てに入館すると「みんなちがってみんないい」という言葉が完成です。これは、ご存知金子みすゞさんの『わたしと小鳥とすずと』の一節です。)

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粋田化石は絵画には詳しくないのですが、香月泰男の絵は洋画に日本画の技法を取り入れた画風だそうです。また、香月泰男は出兵しシベリア抑留を経験しています。そこでの体験を基に独特の画法で描かれた『シベリア・シリーズ』と名付けられた絵画が有名だそうです。

絵画を鑑賞して脳みそが少しだけ文化的になったところで宿に戻りました。


【 冷まじ すさまじ 】(季秋)
晩秋に秋冷がつのる感覚をいう。「すさまじ」は「 荒すさ ぶ」から出た語で、そもそもはものごとが荒れ衰える意。(角川合本俳句歳時記第四版)

【 秋寒 あきさむ 】 そぞろ寒(ざむ) やや寒(さむ) うそ寒(さむ) (季秋)
秋のうちに感じる寒さ。「そぞろ寒」の「そぞろ」は「漫ろ」と同じで「それとなく」「わけもなく」の意。「やや寒」の「やや」は「いくらか」「ようやく」の意。うそ寒の「うそ」は「薄」の 転訛てんか か。いずれも秋の半ばすぎから晩秋にかけて次第に募る寒さを思わせる。(角川合本俳句歳時記第四版)

【 肌寒 はださむ 】(季秋)
 羽織るものが欲しいような晩秋の寒さ。肌に直接感じる寒さである。(角川合本俳句歳時記第四版)

【 寒し さむし 】 寒さ 寒気 寒冷 (季冬)
皮膚感覚、あるいは目に見えるもの見えないものを通して、さまざまに感じる寒さをいう。↓朝寒(秋) ・ 夜寒(秋)(角川合本俳句歳時記第四版)

【 秋曇 あきぐもり 】  秋陰(しういん) (季秋)
秋の曇りがちの天候をいう。曇った日が二、三日続くと、気分も暗く沈みがちになる。↓春陰(春)(角川合本俳句歳時記第四版)






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長門路一人旅其の弐 [日記]

10月12日
夜中に目を覚ますと雨の音が聞こえていたので覚悟はしていたけれど、朝になって外を見ると舗装道路が濡れていてがっかり。スマホで萩地方の天気予報を調べると終日雨らしい。

実は今回の旅行で絶対に寄ろうと思っていたのは「金子みすゞ記念館」だけで、あとの行程は天気を見ながら行き当たりばったりで決めるつもりでいました。因みに「金子みすゞ記念館」に行きたかったのは、みすゞさんの詩が載った来年のカレンダーを買いたかったからです。もちろん、みすゞさんと触れ合いたいというのもありましたヨ。

朝食を取りながら考えた結果、先ずは長門市油谷津黄にある『龍宮の潮吹(りゅうぐうのしおふき)』に行ってみることにしました。龍宮の潮吹は、打ち寄せる波が岩に空いた細い穴に当たった際に起きる噴潮現象が見られる場所です。

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朝食後レインコートを着て小雨の中をオートバイで出発です。津黄の海岸に近づくにつれて雨と風が強くなってきました。途中選挙のポスターを発見、長門市は安○晋○氏のお膝元です。


秋霖の長門路一人オートバイ 粋田化石



さて、雨の中オートバイで龍宮の潮吹に来たものの潮は殆ど吹き上がりません。

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潮を吹かない龍宮の潮吹

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笠の代わりに被っている帽子が風に飛ばされそうになるのを押さえながら見ること約二十分。一回だけ僅かに吹き上がるのを見ることが出来ました。三年前に強風波浪警報が出されている中で見物した際にはもう少し潮吹が見られたので、波の荒い日に来た方が良いのかもしれません。

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今回は参拝しませんでしたが、龍宮の潮吹のすぐ隣には『元乃隅稲成神社』があります(元乃隅稲成神社の写真は三年前に撮影したものです)。ここは稲荷ではなく稲成だそうです。また、「日本一高いところに賽銭箱がある」として有名な神社で、赤い鳥居の上方、地上六メートルの位置に賽銭箱があります。

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雨が強くなってきたので雨宿りを兼ねて長門市仙崎のーサイド・スクエに土産を買いに行きました。ここは広い駐車場と観光船乗り場、地元の特産品や土産物を売る店と飲食店が数件入った建物があった場所でした、三年前に訪れた時には。行ってみてビックリ。現在は10月7日に部分オープンしたばかの「センザキッチン」という名称に変わっていました。以前にあった土産物店と飲食店が入っていた建物は現在解体中で、新しい建物の内外はいかにも道の駅風、その中は客でごった返していました。自分への土産は「大吟醸みすゞ」です。

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買い物を終え店の外に出ました。あれ、何か足りない。シーサイドスクエアの時代に敷地内にあった詩人金子みすゞさんの「大漁」の詩碑と彼女の胸像、
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作詞家大津あきら氏の詩碑、
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さらに引揚記念碑がなくなっていました。
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大津あきら氏は仙崎出身の作詞家で、仙崎の数か所に彼の詩碑がありました。また、仙崎の港は水深が深い自然の良港であったために敗戦直後に引き揚げ船発着の港として使われました。因みに粋田化石の母も中国から引き揚げてきた際に仙崎に上陸しました。仙崎の人たちが“金子みすゞ”“大津あきら”“引揚の歴史”を蔑ろにするとは思えませんので、センザキッチンのグランドオープンの日にはきっとそれらが還ってきていると信じたいです。

雨が弱くなる気配がないので、『金子みすゞ記念館』に行きました。

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ここは入り口がみすゞさんの生家(本屋)を再現してあって、奥が記念館になっています(写真は以前に撮影したものです)。『香月泰男記念館』、『くじら資料館』、『村田清風記念館』との四館共通券を購入して入館しました。金子みすゞ記念館に入館すると「みんな」という判を押してもらえます。

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入り口にある生家は当時の家を忠実に再現してあるそうで、二階にはみすゞさんの部屋もあります。何回も訪れている場所なのですが、かなり時間をかけてじっくりと見学しました。帰りがけには来年のみすゞカレンダーと一筆箋を購入。


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金子みすゞ記念館にオートバイを置いたまま、帽子を笠代わりにして徒歩でみすゞさんの墓がある遍照寺(へんじょうじ)へ向かいました。少し歩くと以前には無かった小さな公園のように整備された一角があり、そこにはまだ新しいみすゞさんの全身のブロンズ像が置いてありました。

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ブロンズ像の周りにはたくさんの種類の花が植えられており、私が訪れた時には雨の中でもみすゞさんは金木犀の良い香りに包まれていました。

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台座の文字は安倍晋三氏のものだそうです。

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木犀もみすゞも屋根も雨の中 粋田化石




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続いて遍照寺です。ここにはみすゞさんの墓の他「こころ」の詩碑があります。

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また、立派な銀杏の木があり、私はこの木を見るたびにみすゞさんの詩が頭に浮かびます。
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「大きな文字」 金子みすゞ

お寺のいちょうの
大筆で
誰か、大文字
かかないか。

東のお空
いっぱいに、
「コドモノクニ」と
書かないか。

いまに出てくる
お月さん、
びっくり、しゃっくり
させないか。

(金子みすゞ童謡全集2 美しい町・下 JULA出版局)

という詩です。


穂先だけ銀杏黄葉の黄色かな 粋田化石



みすゞさんの墓に手を合わせた後、雨の中を青海島(おうみじま)の通(かよい)にある『くじら資料館』に向かいました。青海島へは仙崎の北の端から青海大橋で渡ることが出来ます。

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くじら資料館では、古式捕鯨と通の漁民たちの歴史を学び、捕鯨に使用した道具を歴史的資料として見ることが出来ます。ここに入館すると「みんな」という判を押してもらえます。

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青海島の東端にある通では江戸時代から捕鯨が行われていました。沿岸近くを回遊する鯨を一定の網代に追い込み、苧網で囲んで銛で突きとる「網取捕鯨」が行われていたのだそうです。明治時代になり鯨も来なくなり、捕鯨は遠洋に出かけていく近代捕鯨に変わっていきました(写真は3年前に撮影したものです)。

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また、くじら資料館の裏手にある清月庵には『鯨墓』があります。捕獲された母鯨を解体した時に出た胎子を村人が手厚く弔ったもので、七十二頭が眠っています。(写真は三年前に撮影したものです)

再び青海大橋を渡り仙崎を経由して、宿の近く長門市三隅にある『村田清風記念館』に行きました。ここに入館すると「いい」という判を押してもらえます。
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村田清風記念館には「村田清風」コーナーと「周布政正之助」コーナーがあって、二人の業績と生涯を学ぶことが出来ます

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村田清風(むらたせふう)は五人の藩主に仕えましたが、特に毛利敬親に抜擢されて負債「八万貫」の大敵退治をモットーに産業の振興と財政整理を断行するとともに、文武の奨励に尽くし維新回転の礎を築きました。また、周布政正之助(すふまさのすけ)は激動の幕末に村田清風の跡を継ぎ、革新的政治家として藩内外の志士を指導し、安政以後の難局に対処しましたが、蛤御門の変後責任を痛感し志なかばにして自刃しました。

村田清風記念館を出ると午後三時を回っていたので宿に戻りました。

続く

【 秋の雨 あきのあめ 】  秋雨(あきさめ)  秋霖(しうりん)  秋黴雨(あきついり) (季秋)
秋といえば秋晴れを連想するが、雨の多い季節でもある。秋の雨は、古くからもの寂しいものとして詠まれてきた。「秋霖」「秋黴雨」は梅雨時のように降り続く秋の長雨のこと。(角川合本俳句歳時記第四版)

【 木犀 もくせい 】  金木犀(きんもくせい) ( 銀木犀ぎんもくせい) (季秋) 
中国原産のモクセイ科の常緑小高木で、仲秋のころ 葉腋ようえき に香りの高い小花を多数つける。橙色の花を開くのが金木犀、白いものは銀木犀という。高さ三~六メートル、時には一〇メートルに達する。枝が多く、葉が密に茂る。(角川合本俳句歳時記第四版)

【 銀杏黄葉 いちやうもみぢ 】(季秋)
銀杏は中国原産のイチョウ科の落葉高木で晩秋鮮やかに黄葉する。高いものは三〇メートルに及び、巨木となることもまれではなく、金色に黄葉したさまは荘厳でさえある。「銀杏」には慣用的に「いてふ」の仮名が使われている。(角川合本俳句歳時記第四版)






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秋の長門路ツーリング其の壱 [日記]

夏休みをいまだに消化していませんでした。そこで、宿だけ予約して山口県長門市三隅(みすみ)にある湯免温泉に10月11日から三泊四日のオートバイツーリングに出かけました。
湯免温泉には地元出身の画家“香月泰男”の美術館があります。以前にそこを訪ねた時に気づき、いつかは泊まってみようと思っていた温泉です。
予定走行コースは
千葉県首都高速東名高速道路新東名高速道路伊勢湾岸自動車道東名阪自動車道新名神高速道路名神高速道路中国自動車道山陽自動車道中国自動車道美祢東(みねひがし)から一般道湯免温泉 です。
10月11日
カーナビで検索してみると目的地までは1,049㎞。予想所要時間は14時間以上となっていました。夕方早めに宿に入りたかったので、午前二時に出発です。

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新東名高速道路駿河湾沼津SA


この時間に出発すれば大阪までは渋滞は無いだろうと思ってバイクを走らせていると、東名高速道路が午前三時半から渋滞です。実は、私が知らなかっただけで名高速道路は夜間集中工事を実施中でした。その他は東名阪自動車道の四日市鈴鹿間が火事のための渋滞、中国自動車道の大阪吹田から先が自然渋滞でした。

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伊勢湾岸自動車道刈谷ハイウェイオアシス

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山陽自動車道三木SA

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山陽自動車道小谷SA


それでも警察の人に見つからないように飛ばせるところは飛ばしたので午後三時半に湯免温泉の宿に到着です。走行距離は1,073㎞。所要時間は13時間半でした。

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宿に到着



オートバイ走る分だけ身に入みて 粋田化石




湯免温泉からは、秋吉台も萩も金子みすずの出身地仙崎もバイクに乗れば三十分以内に行ける場所にあります。しかし、この日は宿に行くだけで精一杯。温泉に浸かって寛ぎました。


松陰もみすゞも見ずに河豚を喰う 粋田化石



夕食が格別に美味しかったです。この日は、ふぐ刺し、ふぐ飯、アワビのしゃぶしゃぶが出てきました。たいへんに美味しゅうございました。

食事の後は何もせずに一時間後には眠ってしまいましたとさ。

続く

【 河豚 ふぐ 】 ふぐと ふく (季冬)
フグ科とその近縁種の総称。体が長くてやや側扁、口は小さく、危険を感じると腹を 毬まり のようにふくらませて 威嚇いかく する種類が多い。虎河豚が最も美味とされ、刺身・ちり・汁にして食べたり、鰭を酒に浸して飲むなどするが、「河豚は食いたし命は惜しし」というように、多くの種は 肝きも や卵巣に毒がある。↓河豚汁 ・ 鰭酒 (角川合本俳句歳時記第四版)

【 身に入む みにしむ 】 (季秋)
「身に入む」はもともと体に深くしみ入るように感じることで、感覚的な響きが強い語である。秋のもののあわれや秋冷がしみじみと感じられることをいう。(角川合本俳句歳時記第四版)






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広島 [日記]

広島旅行の記事を完結しないうちに二週間が過ぎてしまいました。

今更という気がするので宮島の写真と粋田化石の句だけ記事にしました。

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宮島には鹿がたくさんいました。午前九時の宮島は人の数より鹿の方が多いような気がしました。鹿がたくさんいるので当然糞も。

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くつろぐ鹿



鹿の糞数えて参る嚴島 粋田化石


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早起きして干潮に合わせて行ったので、大鳥居の下まで歩いて行くことが出来ました。
干潟では片方の鋏が大きい蟹がダンスをして出迎えてくれました。

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潮引かば蟹が招くや嚴島 粋田化石



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嚴島神社社殿

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手水舎

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神社へ参拝すると何故だか手水舎が気になります

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頭を下に向けた蝉の抜け殻


宮島ロープウエイに乗りました。

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途中一回乗り換えて獅子岩駅に到着。
そこから三十分ほど歩くと弥山(みせん)山頂です。弥山は千二百年前に弘法大師が開山したという標高535メートルの霊峰です。

弥山本堂。

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ピントが合っていません。
本堂の対面にある『霊火堂』には千二百年以上燃え続ける『消えずの火』があります。

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弥山山頂からの景色

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この日は水蒸気が多いのか煙っていて景色は今一つパッとしませんでした。

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宮島ロープウエイの紅葉谷駅近くにあった池に居たカープたち。

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宮島には四時間以上いましたので、海の中に立つ大鳥居も見ることが出来ました。

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広島の二日目は呉(くれ)に行きました [日記]

広島の二日目は呉(くれ)に行きました。

広島に行くのなら呉にも行かなければと思っていました。なにしろ『戦艦大和』を作った場所ですから。
呉には『海上自衛隊呉教育隊』があり、多くの若き自衛官の方たちとも行き交いました。
明日の日本のため、どうかしっかり学んでください。


海風に若き海自の白シャツも 粋田化石



呉には『‐呉市海事歴史科学館‐大和ミュージアム』があります。

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呉の街は当時東洋一の軍港として栄えていたそうです。良し悪しは別として、戦争が人類に与える影響が大きいということを再認識しました。
「大和ミュージアム」では、その呉の歴史と科学技術の発達を学ぶことが出来ます。
あの『セーラー万年筆』も呉で培われた優れた金属加工の技術から生まれたのだそうです。なるほど、「呉」と「セーラー」最高の命名ですね。
「大和ミュージアム」では、丁度『海底の戦艦大和』という企画展が開催されていました。海底に沈む「大和」の調査は現在までに四回行われているのだそうです。四回目は平成二十八年五月に呉市が実施しました。その結果が映像や模型で丁寧に説明されていました。

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呉の海軍工廠で建造された『戦艦大和』は機密性が高かったために、現在でも謎の部分が多く残されているのだそうです。海戦の時代がとっくに終了してから生まれてきた巨大戦艦「大和」。「大和」は何のために生まれ、そして沈んでいったのでしょうか。

「戦艦大和」十分の一模型
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夏空や大和は海の闇の中 粋田化石



『大和ミュージアム』の向いには『‐海上自衛隊呉歴史館‐てつのくじら館』があります。

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海上自衛隊の活躍を実物展示や映像などの資料を通じて紹介しています。一階は海上自衛隊の歴史を。二階は機雷(きらい)除去に活躍する掃海艇のかつやく活動を。三階では潜水艦の歴史とその科学技術がそれぞれ紹介されていました。

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アメリカ製の機雷

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イタリア製の機雷


また、引退した潜水艦「あきしお」の内部にも入ることが出来ます。

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操舵室では潜望鏡を覗くことが出来ました。

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この日から発売になった「あきしお」のガシャポン。価格は四百円です。
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呉での昼食は『お好み焼』
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夕方は広島市内に戻りマツダスタジアムへ行きました。

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この日はヤクルトスワローズが勝利しました。
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試合の途中で雨も降ってきました。カープファンの甥はがっかり。カープが負けてしまったので、余計に暑い広島の夜でした。

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広島やカープの負けに風死せり 粋田化石

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八月六日は広島の原爆記念日です [日記]

久しぶりの更新です
七月二十八日から二泊三日で広島に行ってきました。
広島行きの主な目的はプロ野球観戦です。数年前、甲子園での阪神タイガースの応援に広島東洋カープファンの甥に付き合ってもらったことがあります。そのお返しに、今回私がマツダ・ズームズーム・スタジアムに一緒に行くことになりました。因みにカープの対戦相手は東京ヤクルトスワローズでした。

七月二十八日
広島へは羽田空港から飛行機で行きました。広島はとにかく暑かったです。



平和記念公園内は千葉県では聴くことが出来ない熊蝉(クマゼミ)の大合唱です。もちろんアブラゼミも鳴いていました。

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私が広島の平和記念公園を訪れたのは七月二十八日ですが、すでに慰霊祭の準備は始まっていました。

花が絶えない慰霊碑です。

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向こうには原爆ドームも見えています。


広島の願いは一つ蝉の声 粋田化石



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原爆ドームは、こちら側から見ると瓦礫も落ちていて爆撃で破壊されたのだとはっきりと認識できます。


熊蝉や原爆ドーム今もなお 粋田化石



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あくまでも個人的な意見ですが、歴史的に価値のある建造物の周りには景観を壊すような建物は立ててもらいたくありません。それは札幌の時計台を見た時にも思いました。


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原爆のドーム見下ろすビル暑し 粋田化石



広島の街は川がたくさん流れています。

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原爆ドームからほど近い場所で太田川と元安川が分岐しています。ここには丁の字型の橋が架かっているのですが、実はこの橋が原爆投下の際の目印だったのだそうです。実際には爆心地はこの橋からずれたらしいのですが、もしも橋が爆心地だったら原爆ドームは残っていなかったかもしれません。

写真の橋が丁の字の縦棒に当たる橋です

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こちらが横棒です

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人類も川の流れのように正しい方向に向かって進んで行ければ良いのですが。


広島忌川は迷わず流れけり 粋田化石




広島東洋カープの日本選手権優勝の記念碑です。

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この日は広島カープの勝ちでした。

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群馬県の伊香保温泉に行ってきました 其の三 [日記]

二日目です
朝食を済ませた後、『榛名富士』に向かいました。

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榛名山は外輪山です。その外輪山の中の富士山に似た形の山を『榛名富士』といいます。外輪山の中の凹みに水が溜まったのが『榛名湖』です。

榛名富士へはロープウェイで登りました。

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麓のロープウェイ乗り場の海抜が千メートルを超えていますので、強い日差しの中でも吹く風は少し爽やかに感じました。
ロープウェイは秒速四メートルの速さで我々を運んでくれるので、あっという間に山頂です。

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ロープウェイを降りて、汗をかきかき少し登るとそこにはコンクリート製の『富士山神社』が祀られていました。

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富士山神社のHPより拝借しました


この日は水蒸気が多かったのか遠くの景色ははっきりとは拝めませんでしたが、上手くすると榛名富士からは東京スカイツリーが見えるのだそうです。

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汗ばみて榛名の富士の宮参り 粋田化石



再びロープウェイで下山して、次に榛名湖の遊覧船に乗りました。その名も『はくちょう丸二世号』です。

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遊覧船は音声ガイドが流れるので観光にはもってこいの乗り物です。途中、音声ガイドさんの歌う『湖畔の宿』(高峰三枝子、1940年)も流れてきました。『湖畔の宿』の湖畔は榛名湖だったのですね。

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水面を渡る涼しい風を顔に受けながら遊覧船の窓から眺める榛名富士もなかなかのものでした。


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涼風を通す窓より榛名富士 粋田化石



遊覧船の次は『榛名神社』へ参拝しました。

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榛名神社には千年以上の歴史があるそうです。参道脇に並ぶ杉の木も巨木ばかりでした。

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もしかしたら何百年も前の参拝客が触れたかもしれない木肌に触れてみました。ひんやりとしたその木肌から力を頂いたような気がしました。

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参道の所々には七福神の像が立っていて我々を迎えてくれました。



榛名宮水音近き木下闇 粋田化石



【 木下闇こしたやみ 】 木の下闇 下闇 青葉闇
夏の木々が鬱蒼と茂るさま。樹下は昼とは思えぬ暗さである。明るい場所から急に入る時など、特に暗く感じる。(角川合本俳句歳時記第四版)


手水舎付近からは瓶子の瀧(みすずのたき)も見えます。

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瓶子瀧真白き龍は天目指し 粋田化石




参拝の後は参道の脇にある店で昼食です。七人全員が同じ手打ち蕎麦と岩名の塩焼きを頂きました。それはもう大変美味しゅうございました。

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榛名神社参拝の後、湯ノ花まんじゅうを土産に買って帰路につきました。


群馬県の伊香保温泉に行ってきました 其の二 [日記]

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伊香保の街を散策した後はホテルに戻りゆっくりと温泉に浸かりました。それから夕食までの間は外に出て夕涼みです。ホテルの外には足湯も用意されていていました。湯上りに夕方の涼しい風に当たりながら頂くビールは格別に美味しかったです。
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褄取りて麦酒右手に足湯かな 粋田化石



つま‐どり【×褄取り】
[1] 着物の褄を手でつまんで持ち上げること。
[2] 相撲のきまり手の一。相手の足首またはつま先を取って後ろに引き上げて、前に手をつかせる技。出し投げから横に付いての変化技であることが多い。
[3] 「褄取威(おどし)」の略。
(大辞泉第二版)

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空を見ると赤くて真ん丸の月が出ていました。旅先で眺める満月というのもなかなか良いものです。


湯煙に霞む伊香保の夏の月 粋田化石



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夕食は、急に参加できなくなった同級生に同情しつつも和気藹々と楽しいひと時でした。

夕食の後は有志四人で近所にあるカラオケスナックへ。

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射的場で射的の指南をしていた某同級生は、選曲も歌い方もとても御立派です。彼はこれまでの人生でこういう店に一体幾らくらい投資してきたのでしょうか。
粋田化石といえば“サンプラザ中野”風に叫び声を上げながらストレスを吹き飛ばしてきました。


歌選ぶ校友宿の浴衣かな 粋田化石




続く






群馬県の伊香保温泉に行ってきました。 [日記]

七月八日・九日、今年満七十歳になった高校時代の恩師と群馬県の伊香保温泉に行ってきました。先生のお供は元生徒五人と元生徒の妻が一人の六人で、都合七人の道中でした。出発の前日に、参加予定の一人が自動車の追突事故に巻き込まれたために急遽欠席となり、その代理として元生徒の妻一人が参加となりました。実は伊香保温泉にあるホテルで同級生(元生徒の一人)が働いていて、伊香保温泉でのミニクラス会は今回で二回目の企画でした。七人乗りの自動車に七人乗るとかなり狭苦しいので私だけオートバイで行こうかと一瞬思ったのですが、結局は七人が一代の自動車で行きました。ぎゅうぎゅう詰めでも楽しい道中でした。

途中立ち寄った「渋川スカイランドパーク」という遊園地では、『白い貴婦人』と呼ばれている『西洋紫陽花アナベル』が満開でした。白い紫陽花は一見すると清楚なようですが、私には白さの中に熱い意思や情熱が秘められているように感じました。因みに紫陽花は渋川市の花だそうです

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鬱勃と白紫陽花の熱き息 粋田化石



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うつ‐ぼつ【鬱勃】
[ト・タル][文][形動タリ]内にこもっていた意気が高まって外にあふれ出ようとするさま。また、意気が盛んなさま。「―たる闘志」(大辞泉第二版)


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「渋川スカイランドパーク」では観覧車に乗りました。決して大きな観覧車ではないのですが、山の上に設置されているので大変に眺めの良い観覧車でした。

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ホテルには比較的早めに着いたので、有名な石段を散策したり温泉場には付きものの射的をしたりして過ごしました。
七十歳の恩師はとても元気でした。相変わらずせっかちで負けず嫌いな先生は坂道でも石段でも常に先頭を歩くので、私が撮影した先生の写真は後姿ばかりです。

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石段や西日に弾む恩師の背 粋田化石



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伊香保温泉の石段は全部で365段あります。途中途中に現在の段数を示すプレートが貼ってありました。

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射的の写真の二人は夫婦ではなく同級生です。向かって左の男が同級生の女性に射的の指導をしているところです。幾つになっても女性にだけは親切な男性があなたの身近にもいませんか。

微酔いが浴衣開けて射的かな 粋田化石



はだ・ける【▽開ける】
[動カ下一][文]はだ・く[カ下二]
[1] 手や足を大きく広げる。また、目・口などを大きくあける。
「指の股を思い存分―・けた両手で」〈有島・星座〉
[2] 衣服の前などを広げる。「胸を―・ける」
「火鉢の炭を―・けて」〈風葉・青春〉
[3] 衣服の前などが乱れてひらく。はだかる。「裾が―・ける」(大辞泉第二版)


続く






つなこさんから俳句が届きました六月十一日 [日記]

つなこさんから句が届きました。

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色々の色々な顔紫陽花や つなこ



粋田化石は国語も苦手なのでよくわかりませんが、「色々の色々な顔」こういう表現を何と呼ぶのでしょうか。
咲き誇っている時の紫陽花は本当に綺麗です。

【 紫陽花 あぢさゐ 】  四葩 よひら   七変化 しちへんげ   (季夏)
ユキノシタ科の落葉低木の花。高さ一・五~二メートル。 額がく 紫陽花を原形とする日本原産種といわれる。「四葩」の名は、花びらのように見える四枚の 萼がく の中心に細かい粒のような花をつけることから。花色は酸性土では青、アルカリ性土では赤紫色を呈する。咲き始めは白で、しだいに色が変化することから「七変化」ともいう。「紫陽花に秋冷いたる信濃かな 杉田久女」は、秋になっても美しく咲き残っている紫陽花を詠んだもの。↓額の花(角川合本俳句歳時記第四版)


さて、六月十日落語会に行ってきました。
その名も、第四十三回 大手町落語会 ~ザ・柳家!Ⅶ~
会場は東京の大手町にある日経ホールです。

番 組

飲める』 入船亭小辰(二ツ目)
「一杯飲める」が口癖の男と、「つまらねぇ」が口癖の男の二人が、その口癖を言った場合お互いに一円ずつ取るという定式(きめしき:仲間内で決めた決まり事)を作る。相手になんとか口癖を言わせようとする二人だが・・・

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元犬』 柳家三三
差し毛の混ざらない純白の犬は珍しくて人間に近いという。人間から「お前はきっと来世には人間に生まれ変われる。」と言われていた純白の犬が、来世ではなく今生に人間に生まれ変わりたいと八幡様に三七、二十一日間の願掛けをする。さて、満願の日に人間になることが出来た白犬がご隠居の家で働き始めるが・・・。


たち切り』 柳家權太樓
放蕩三昧の若旦那が親族会議の結果百日間の蔵住まいを命ぜられる。その若旦那が蔵住まいをさせられているとは知らずにいる芸者の小糸。小糸は毎日何通も若旦那の元に手紙を届けるが、八十日目に手紙は届かなくなってしまう。百日経ち蔵を出た若旦那が小糸から届いた最後の手紙を読み置屋(おきや)に行くと・・・
線香が燃えた数で芸者の玉代(ぎょくだい)を計算していたそうです。『たち切り』はその線香が燃え尽きることです。

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‐仲 入 り‐

花筏 はないかだ』 柳亭市馬
提灯屋の六兵衛さんの元に相撲の親方が訪ねてくる。聞けば、茨城での相撲の興行を請け負ったのだが肝心の大関花筏(はないかだ)が病気になってしまった。先方は花筏が目当てなので連れて行かないわけにはいかない。そこで花筏と顔も体格もそっくりな六兵衛さんに花筏の替え玉になってもらいたいという。一日に二分(にぶ)の手当と、相撲は取らないで土俵下に座っているだけでいいという条件で相撲興行に乗り込むことになった六兵衛さん。しかし、千秋楽の日に地元の素人相撲の猛者である“千鳥ヶ淵大五郎”との取り組みを組まれてしまった・・・


寝床』 柳家さん喬
義太夫(ぎだゆう)に凝っている商家の旦那、その義太夫を誰かに聞かせたくってしょうがない。ある日義太夫の会を開くことになり自分が大家(≒家主いえぬし)を務める長屋の住人に声を掛けるが、旦那の義太夫を聞きたくない住人達はあれやこれや理由をつけて誰一人来られないという。それならばと、お店(たな)の奉公人達に聞かせようとするがやはり誰一人会には出られない。怒った旦那は「店立て(たなだて:家主が借家人を追い出すこと)だーっ。」と言ってふて寝をしてしまう。そこで、気を利かせたお店の番頭が長屋の住人たちを義太夫の会に呼び旦那を煽(おだ)てて何とか義太夫の会を始めるが・・・

入船亭小辰さんの大師匠(師匠の師匠)は九代目入船亭扇橋師匠。扇橋師匠は三代目桂三木助師匠の弟子でしたが、三木助師匠亡き後五代目柳家小さんの門下に入りました。そういう理由で“入船亭”は“柳家”なのです。

粗筋を詳しくお知りになりたい方のために題名にリンクを張ってあります。


落語会アロハ揺さぶるビルの風 粋田化石



十日は暑くなると聞いていたのでアロハシャツを着て落語会に行きました。

【 夏シャツ なつシャツ 】 白シャツ  開襟 かいきん シャツ アロハシャツ クレープシャツ (季夏)
涼しげな生地や色合いのシャツ。開襟シャツのように胸を開ける工夫がなされている。(角川合本俳句歳時記第四版)

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